暗くてなんぼ

引きこもりや鬱病を経験しても、人生なんとかなるという思いを込めて書きたいと思います。

姉の自殺未遂

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その日のことは今でもよく覚えている。姉が15歳、私が11歳の時のことだ。

 

入院した姉を見舞いに、両親と病院へ行った。姉の救急搬送の翌日だったと思う。ベッドに手足を縛り付けられた姉が、意識不明のまま体をクネらせていた。浴衣ははだけ、少しふくらんだ胸と淡い恥毛が時々見えていて私はドキッとした。動物のような声を上げながらのたうつ彼女の姿に、私は「何か大変なことが起こった」ことを直観した。ただただ涙が止まらず、私は母に抱えられるようにして病室を出た。父も一緒にいたが、現実を否定するかのように振舞っていた。

 

姉はその時中学三年生。小さい頃から虚弱で中学になっても不登校気味だった。その日も私は、一人で朝食を取り早々に学校へ出かけた。母も正社員として働いており、出勤の準備をしていた。姉は起きて来ず、母は「いつものことだし、このまま寝かせておこうかしら」と思いながらも、姉の部屋越しに声をかけてみた。返事はなく、大きな鼾だけが聞こえてきたという。胸騒ぎを覚えた母は(母は非常に勘がいい)ドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。三分後、母は外階段と屋根をつたって姉の部屋の外側に行き、窓ガラスを割って(!)室内に入ったという。

 

救急車が呼ばれ、姉は緊急入院した。胃洗浄を受けたに後も、姉は意識不明の重体だった。「あと一時間遅かったら助からなかったでしょう。心臓が強かったのが幸いした」と医師に言われたという。

 

病院は「完全看護」を謳っていたが、その手当はおよそ満足のいくものではなかった。今のように不登校や心の問題が認知されていない時代で、病院のスタッフの対応も冷ややかで、「嫌でも死んでいく人々がいるのに、若いのに自殺未遂なんか起こして、迷惑な子とその親」という視線に母は曝された。

 

意識不明のままベッドに拘束され、十分な体位交換を受けなかった姉の片足は、退院時には完全に麻痺していた。その治療には一年がかかったが、病院からは一切の謝罪も保障もなかった(今なら訴訟沙汰になるような案件だ)。

 

退院した姉は以前より一段と細くなり、平均身長なのに体重はわずか35キロになっていた。そのため、小柄な母でも姉を抱えて入浴させることができたのだが‥。父はまったく何も起こらなかったような振りをして、子供帰りした姉とその世話を献身的にする母を遠巻きに見ているだけだった。

 

私もある意味傍観者だった。中学受験の準備や部活もあり、自分のことを淡々とやっていたような気がする。姉は母以外には心を開かず、母もほぼ寝たきりの姉の世話に手いっぱいで、私は寂しいと思うより「非常時なのでこれしかない」と

姉の回復を見守った。

 

しばらくたってから、母から姉が自殺未遂をしたこと、そのために入院、リハビリとなったことを聞いた。姉は、父が海外赴任時に使い残した睡眠薬を、丸々一瓶分飲み下したのだ。(ある時父の旅行鞄から見つけてから、ずっと隠し持っていたらしい。)

 

昔から喘息で体が弱く、勉強も運動も妹のようにできないことで父から邪険に扱われてきた姉。不登校気味でクラスでも浮いてしまい、無視されいじめられていた姉。当時から「仏像の写真集」を見ることだけを心の慰めにしていた姉。15歳で命を絶とうと思うまで追い詰められていたことを 家族の誰もが解っていなかった。彼女は誰にもその悩みを言えず(言っても無駄だと諦め)、独り絶望していたのだ。なんて悲しいことだろう。

 

結論から言えば、姉は生き残った。その後長い時間をかけて回復し、現在彼女は、非常に安定した男性と幸福な生活を送っている。

 

私達家族は、今でも「あの日」のことを語らない。姉自身も一度もそのことに触れたことはなく、亡くなった父もまるで事故だったかのように何も言わなかった。母でさえ「あの時のことをもう言うのはやめましょう。もう過去のことなのだから」という態度だ。

 

でも私にとっては‥、忘れようにも忘れられない日だ。その日を境に私の人生は変わってしまった。表面を取り繕って保っていた「家族像」の嘘が一挙に砕かれた日というか(イメージ的には9/11で崩れ落ちたツインタワー)、「一応OK」と思っていた家庭は、全然OKではなかったということを脳天への一撃とともに知らされた日という感じだ。

 

誰のせいというより、家族全員のせいで起こったことで、私も同罪だった。窮地にいる姉を横目に「しめしめ、私は優秀ないいい子をやっていよう」と考えていた自分の愚かさと狡さ、思いやりのなさ‥。あの日以来、私はずっと「罪悪感」を抱えて生きている。

 

姉があの時死なないで良かった、と心から思う。もしあのまま逝ってしまっていたら、うちの家族は空中分解するところだっただろう。しかしそんなことより、ただただ姉という人間が、この世に生き残ったことがありがたいと感じている。彼女がこの世に存在すること自体がいいことだと思う(それは、他の全ての生きとし生けるものに当てはまることだ)。

 

姉は私と心理的な距離をとっているように感じるが、私は姉が人生の最後まで健康・幸福であるよう(陰ながら)サポートしていきたいと思う(特に義兄がもし先立った場合は尚更だ)。家族を安寧に「送り出す」のが、私の人生の役目の一つだと感じている。