暗くてなんぼ

引きこもりや鬱病を経験しても、人生なんとかなるという思いを込めて書きたいと思います。

何をやっても罪悪感

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鬱の症状の一つに「理由のない罪悪感」がある。何をしても、自分は悪いことをしている、という気分が付き纏うのだ。

 

例えば仕事で上司に褒められると、嬉しいと思う反面、穴に入って隠れてしまいたいような気持ちになる。自分は賞賛に値しない、この人は自分を買いかぶっている、と感じるからだ。

 

また、誰かに何かをしてあげたりして「ありがとう!」と言われても、どうもバツが悪い。「お前は、いい人ぶってこの人を欺いているんだ、この偽善者!」というつぶやきが頭の中にこだまする(気がする)からだ。

 

もちろん、人から批判されたり貶されたりすると傷つく(普通の人よりもっと傷つきやすいかも)。しかし、褒められたり感謝されたりしても「罪悪感」を感じてしまう…。どっちにしろlose-lose で can’t win (勝ち目なし)、というところだ。

 

一度非常に思いやりのある上司に、この気持ちを正直に話してみた。上司はじっと聞いてくれて後で「じゃぁ、僕は...どうしたらいいのかな?」と言った。「ことさら褒めずに、ただ "Good job!" とか"Well done" とか言ってくれたら嬉しい」と答えたら、ちょっと首をかしげて困ったように微笑んだ。

 

「認知療法」をご存知だろうか。心理療法の一つで、客観的に物事を再認識することで気分障害を解消するという、鬱病に効果があるとされるものだ。

 

この療法のアプローチを知り、実践するようになってから、私の心はかなり軽くなった。 ツボは、自分の認知の歪みに気づいて意識的にそれを打ち消す、ということだ。これには”反復練習”が必要で、私は今でも「(理由のない)罪悪感を感じている自分の認知の歪み」を日々”矯正”するようにしている。


例えば、「自分は賞賛に値しない」という考えには、「この人は、(どうであれ)私がした事についてポジティブな評価をしてくれた。それ自体は事実だ」とか、「確かにこの人は、自分を本来より良く見てくれているもしれない。でも、そう考えてくれる理由となったことを私はしたのだ」と自分に言い聞かせる。

 

「偽善で人をだましている!」という認知の歪みには、「よーく考えてみよう。真摯にその人の為になりたいと思ったんじゃないか?」とか、「多少、いいことをしていい気持ちになりたいという動機があったとしても、結果としてその人が喜んでくれたのなら、よしとすればいいのでは?」と自分に向かって語りかける。

 

”客観的な見方をする第三者”のような存在を頭に描いて、語りかけるのがコツのようだだ。これで、隠れてしまいたいような罪悪感がかなり薄まる。

 

「歪んだ認知と罪悪感」は自分の行動を制限し、麻痺させてしまう神経毒(?)のようなものだ。これに囚われると、心が(羞恥と罪悪感で)麻痺して何も行動できなくなってしまう。その毒を消す、少なくとも薄める方法を身につけることは、生きやすさに繋がると確信している。